応募期間 2004年1月10日〜2004年12月31日





1年間を通じて、あなたと腕時計との出会い、思い出を綴ったエッセイを募集します。優秀作品は、月ごとに月間ベストエッセイとして発表、月間ベストエッセイ受賞者には、「kodomo-seikoオリジナル腕時計」をプレゼントいたします。あなたの腕時計の思い出、そしてあなたが腕時計と共に過ごした時間のことを800字以内で書いてお送りください。皆様からの応募をお待ちしております。

 


2004年の作品
1月-2月 3月 4月 5月 6月-7月 8月-9月 10月-11月 12月

1-2月の作品(14作品)

1月度のベストエッセイ審査に当たって、応募作品数が少なかったため、事務局で協議の結果、2月度応募作品と合わせて審査させていただくことにいたしました。よろしくお願いいたします。

「ありがとう。」未熟なりんごさんのエッセイ
「いつもいつでも(笑)」鈴木 愛子さんのエッセイ
「時計の温もり」かずさんのエッセイ (1-2月のベストエッセイ)
「原因はいつも時計」H Fujiiさんのエッセイ
「腕時計を見ながら思い出を」ゆず★さんのエッセイ
「寝なさい時計。」はたけやまえみさんのエッセイ
「私の時計」みるくさんのエッセイ
「一緒の時間を刻んでいたい・・・」風真 弘子さんのエッセイ (1-2月のベストエッセイ)
「銀時計」とむちゃんさんのエッセイ
「不思議の国の白うさぎと懐中時計」花井 くみさんのエッセイ
「Dear.Riz.。」Jinko.K.さんのエッセイ
「昔の仲間」深谷 桂子さんのエッセイ
「分身」西村 美香さんのエッセイ
東元 正臣さんのエッセイ


「ありがとう。」未熟なりんごさんのエッセイ

「あんた、どこの高校行きたいの?」「ほんまにそこでいいの?」
中学3年生の冬、私は毎日のように高校の話しを親からされた。「まだ微妙に迷ってるねん。」いつもそう言っていた。
おじいちゃんとおばあちゃんの家に行くと安心した。それは、勉強の話しを一切しなかったから。いつも体調のことを気遣ってくれ、心配してくれた。
私立受験をもうすぐ控えた日、おじいちゃんが「もう高校生やから自分だけで生きていく練習のためにも腕時計が必要ちゃうか?」そう言われて内心、今は携帯があって時計もついてるから必要ないと思っていた。でも、おじいちゃんは可愛い小さな私の身体に合う時計を買ってくれた。
私立受験、公立受験、どちらもその時計をつけて行った。なぜだか分からなかったけれど安心した。そして見事合格した。
もちろん時計をつけてると報告したし、喜んでくれていたみたいだった。
突然、おじいちゃんは倒れた。この世に別れをつげた。ポカンと心に穴があいた。そのことを知らないかのように今も時計は時を刻んでいる。
天国にいるおじいちゃんの分まで一生懸命動いてくれているような気がする。そう、おじいちゃんは時計は針の音が自分の心を落ち着かせてくれているんだと言った。そのとおりだと思う。
受験で安心した理由、それは時計の針の音で気持ちを静めることができたからなのかもしれない。
今はその音の1秒1秒が私の心の穴を埋めていってくれている。
ありがとう。おじいちゃん。
ありがとう。私の腕時計。


「いつもいつでも(笑)」鈴木 愛子さんのエッセイ

私と腕時計君はいつでも一緒。これまで付き合ったどのボーイフレンドよりも、愛する旦那様よりも過ごした時間は長いわ。お風呂もトイレも寝るときでさえ外さないの。いいえ、外せないのが正しいわ。
私は時計が無いと生きていけない仕事に就いてる。ちょっとメジャーになってきた、自衛官。1分、1秒の遅れが人命に関わることがある。どんなときも正確な時間を知る必要があるの。
私と腕時計君はこれからもずっと一緒。私の頑張りを支えて。見つめていてくれるよね?もとは叔母さんからもらった高校の入学祝い君なんだけどね。


「時計の温もり」かずさんのエッセイ (1-2月のベストエッセイ)

「これ、お前にやる。」
そう言って、父が高校生時代の私に時計をくれた。なんでくれたのかはよく分からないが、その後すぐに新しい時計をしていたところを見ると、お古を気まぐれにくれただけっだったのかもしれない。でもそれは、いつでも父の腕に在ったものだ。
別に高価なものでもなかったと思う。普通のクオーツ時計で、革のベルトはかなりくたびれてもいたし、あちこち擦り傷も目立った。
それまでは私も自分の時計を着けていた。わざわざお小遣いをためて買った安物だが、デザインは気に入っていた。
なのに、貰った次の日から、私は父の時計を選らんだ。
おそらく父は大して気にも留めていなかったろうが、私はその時計をかなり長年月愛用した。そして、今の妻が時計をプレゼントしてくれた時、ようやく彼はその役目を終えた。

その時計はすごく温かかった。

授業中も。受験の時も。酔っ払って蹲っている時も。初めて仕事を任された時も。僕の左手で僕をじっと見守ってくれているような。そんな温かさ。
父が、というよりも父に長い間仕えた執事が、僕の腕に宿ってそっと支えてくれている感じ。手放せなかった。

彼をその後、弟に譲ったのだが、電池を換えても動かなかったそうだ。私の面倒を見るので精一杯だったのかもしれない。

今、僕は少しお金を貯めて、機械式の時計を買おうと思っている。その時計を大事に使ったいつの日か、何気に息子に譲りたい。彼が使ってくれるかどうかは分からないけれど。


「原因はいつも時計」H Fujiiさんのエッセイ

新婚旅行はグアムを選んだ。手軽な海外という理由からだったが、免税になる腕時計を買ったので妻からいつも「時計が欲しくて沖縄じゃなくてグアムにしたのでしょう?」と責められる。長女が生まれた。出産お祝儀を頂いて記念に腕時計を買った。妻からいつも「大変な思いをしたのは私なのに貴方が欲しい時計を入手した」と責められる。仕事を頑張った。その一区切りに自分への慰労として腕時計を買った。妻からいつも「家族の私たちだって大変だったのに自分だけまたまた欲しい時計を入手した」と責められる。、、、、、いつも妻は正しい。ボクは「すまん」と謝るしかない。いつも謝っている。またそうやって謝っている自分が好きになってきている自分がいる。これが我が家のコミュニケーションかもしれない。今までは夫婦だけの掛け合いだったが最近は中学1年生の一人娘も参加するようになった。当然妻側に立っている。


「腕時計を見ながら思い出を」ゆず★さんのエッセイ

小学校の修学旅行といえば、子どもたちにとっての大イベントだ。わたしはそのイベントにおいて、あるチームの班長となったので、必要なものの中に腕時計といものがあった。わたしは腕時計なんてその当時はもっておらず、親に「学校でいるから」という理由で飼ってもらうこととなった。あるデパートの時計売り場で、わたしは一目でほれてしまった時計に出会う。細い茶色のバンドに、ピーターラビットの絵の腕時計だった。今でも覚えているが、それは5000円。おこづかいも貰ったことのないわたしにとって、けして安くはなかった。「なるべく高いものではなく、安いものを!」という言葉を人生の友として、なんともかわいくない子どもであったが、その時は買ってもらえるので、いいかという人間の本性爆発の瞬間でもあった。修学旅行中も、わたしは嬉しくて嬉しくて、何度もはずしてはつけ、はずしてはつけた。よくモノをなくすわたしとしては、よくそんなことをしてなくさなかったものだと感心する。今では携帯が時計代わりになってしまい、腕時計をすることなんてめったになくなってしまった。あれからいくつか時計を自分で買ったが、あの時計ほど、わたしの腕にすんなりなじんだものは1つもない。今もその時計も、バンド部分はぼろぼろで、いつか代えなくては・・・と思ったきり、そのまんまである。自分の腕をちらっとみただけで、そこには「時間(いま)」が刻まれている瞬間を見ることがでる。これは案外、贅沢なことなのかもしれない。あれが、わたしにとってはじめての時計であり、今でも一番思い出深い時計だ。あと少しで給料も入ることだ。バンドをやりかえて、腕につけてみようかな・・・とも思う、今日この頃である。


「寝なさい時計。」はたけやまえみさんのエッセイ

とあるテレビ番組で、その局のキャラクター・特製目覚まし時計をもらった。このキャラ、もうすぐ2歳になる甥が、大好きなキャラなのです。もう、画面をなめ回すくらい好きです。良い伯母としては・・・いや、待てよ。私はしばし考えた。私も、このキャラ、甥の想いの次くらいには好きなのだ。大人気ないというなら、言え。「安い、少ない」とぼやきつつ、弟妹は、人生時計を順調に進め、人の子の親になり、ブランド品を着せ、家族旅行にも行っている。本当に、このキャラの時計が欲しければ、親である彼らが、努力すればいい。私は、もう、良いお姉ちゃんは卒業していいんだ。 今、私の体内時計は、夜眠れないモードに入ってしまった。自営だから、夜中に仕事をする。「安くても、毎月給料もらえるだけいいじゃんか」。 日中番組が始まる時間にベルはセットしてある。新聞配達のバイクの音が、いくつか聞こえる。「4時だ、寝なきゃ」。かくして、目覚まし時計ならぬ、寝なさい時計は、仕事机の前に、デーンと居場所を確保した次第だ。 マジ、寝ないと。もう4時半だ・・・外は、明るい、が、今日は、吹雪らしい。


「私の時計」みるくさんのエッセイ

皆さんは時計。とただ名詞だけで言うとどう反応するだろうか。
時計という物は人間にとって必要な物でないようで必要という微妙な存在なのだ。あってはならない物と言えばよいのだろう。
私が今愛用している時計は小学校4年生の頃からである。親に他のでも使えばいいじゃん?といわれるが私はどうしてもこの時計がいい。この時計じゃないと朝は起きれない昼は起きれない夜は起きれない。。。となるのだ。また私は寝ている時、すごく音に敏感なので大きすぎる音の目覚まし時計は心臓の寿命を縮ませる恐れもあるのだ。時計というのもわりかしデリケートなんだな。と思っていたがそれは自分であることが最近、わかった。
また私の家ではかなり時計に関していろいろな出来事が多いと思っている。私はこの事をとても誇りに思えるし時計の大切さをしみじみと感じているのである。
私の母は祖母の形見としてある時計を持ち歩いている。私はその古びた時計を見たときに、コレはきっと母と祖母の間柄にとてもしんみつなエピソードがあるんだな。と思った。時計に込められた思いが時計そのままとなって母の形見となっているのだと、私は思った。
時計とは一体人間に何の役目をあたえてくれているんだろうか?私はふとまに思う。だが、時計の音を聞いて夕日を見ているとカチカチ、という音につられてゆっくりと時を過ごす。確かに私は時計の音をリズムにしてごく勝手に歌っているがこの夕日とは別物である。月とスッポン、これをまさに今使うべきなのだ。
今思えば私の身近にはいつも時計がある。もちろん学校へ行ってもある。家のリビング、トイレ、もちろん自分の部屋にもある。
時計は私達に何かをささげてくれているのだと私は思う。カチ、カチ、と音のない時間を過ごしたって全く無意味だ。そのために時計は有効に、しかも音をだしつつも私達人間にために電池たちが活動して私達を助けてくれる。これがもし会議だとしたら時計はもう神様なのである。
時計。これは形見として大切に扱われていたり、またオシャレとして愛用することもできる。私は時計の素晴らしさをしみじみと感じながらまたセールで新しい時計を買おうと思った。


「一緒の時間を刻んでいたい・・・」風真 弘子さんのエッセイ (1-2月のベストエッセイ)

過ぎて行く時間の中で、人や景色が移ろいでも
  あなたが居た場所には、あの日と同じ風が吹いています
あなたが離さず着けていた腕時計
  今は私の元で「とき」を刻んでいます
私は時の流れを、それに逆らうことなく歩いています
  あなたと一緒にいることを感じながら・・・

私の一番大切な、かけがえのない人が他界した。それはおととしの春のこと。母の日のカーネーションがいくつも並んだ五月の日。母は静かに眼を閉じた。いつもの優しい笑顔と「ありがとう」の言葉を残して・・・。
一瞬、何もかもが静止した。張り詰めた緊張の糸が切れて、みんなの感情が『うわぁーっ』と噴出す前の、一瞬。
一番冷静だったのは、ベットの脇の腕時計だったかもしれない。
いつもと変わらぬ正確さで、同じ鼓動を刻み続ける。
今更ながらに「無常」を感じた。
母がお気に入りの腕時計は、三週間前からずっと一緒に病室にいた。
時の経過に、母は何を思っていたのかな?何を見ていたのかな?
いつも家族を優しく包み、守り、支えてくれた母・・・。
母の手は温かかった。回りのみんなを幸せにしてくれた。
実は、伸ばし伸ばしの約束がある。「腕時計のプレゼント」
仕事の合間に殆ど毎日病院に見舞った私へのお礼にと、母は私に
腕時計をプレゼントしたいと言ってくれた。私にしてみれば、母の顔を見れば安心できて、母に会えるのが嬉しくて、だからホンの少しの時間でも病院に通った。いつも私達家族を支えてくれる母の、こんな時くらい、少しは支えにもなりたかった。
退院した母と一緒に何軒かのお店を回り、本当はすごく気に入った時計を見つけた。それでも「もう少し探してから」、そう言って何ヶ月も伸ばしたのは、母との約束を伸ばしておけば、ずっと母と一緒に生きていられると、そう信じていたかったから。
それなのに・・・。
「幸せだったよ。ありがとう」母は天国に帰って行った。
私は今、母のお気に入りだったその腕時計を、止めないように大切にしている。これまでが母と一緒で楽しかったように、これからも、母と一緒にいつまでも歩いていたいから。
この腕時計だけは、止めたくない。


「銀時計」とむちゃんさんのエッセイ

1つ電車に乗り遅れると、駅から高校まで全力で走らなければ遅刻してしまう。約1キロの距離だったが、近づくにつれ校門の前に立っている指導課の教師が見えてくる。と一種の安堵感と、恐怖とが妙に絡み合った気持ちになる。そして恐怖の対象が教師ではなく、手に持った時計になっているのに気付く。
そんな30年以上も前の思い出を持ちながら、先日高校を訪ねた。朝の校門前の情景は全く変わっていなかったが、当時一緒に走った仲間の立場が逆転していた。竹刀を持ち、指導課に代々伝わるあの銀時計を手に、登校してくる生徒達に声を掛けながら、見守っていた。そしてあの頃と変わらず時を刻んでいる伝統の銀時計も、遅れて全力で走ってくる生徒達からは、今も同じように恐怖の対象にされているのだろうと思った。反面、私達に時間のこわさと、楽しい満足感を与えてくれた教師だったのだとも思えた。そう思ってやらなければこの何十年の間、正確に時を刻んでいるだけの銀時計。
フっと息を吹きかけ、トレーナーでレンズを擦りながら、今日も遅刻なし、と友達が語りかけていた。


「不思議の国の白うさぎと懐中時計」花井 くみさんのエッセイ

みなさんは、童話「不思議の国のアリス」のお話に登場する、白うさぎさんを知っていますか?懐中時計を持って、時間に几帳面な白うさぎさんです...
わたしが通っていた英会話スクールは、毎年「ハロウィンの仮装コンテスト」を開いていた。その年のテーマは「童話のキャラクター」。少女のときから「不思議の国のアリス」がお気に入りだったので、迷わず「白うさぎ」の仮装に決めた。ペアで参加するのがルールだ。新任講師のケンに勇気を出して「パートナーになってください」とお願いした。女子生徒に人気のあるケンにはきっと先約があるだろうな...」と断られるのを覚悟をしていた。しかし、返事は意外にも「OK!」ケンと組めるのなら、素敵なものにしないといけないと、断然はりきった。
ふつうの仮装じゃつまんないから...と一週間考えて、懐中時計を主役もかすんで、目立たなくなってしまうような個性的なキャラクターにすることにした。
パーティの日、みんなの視線は、わたしたちペアにくぎづけだった。白うさぎとそのチョッキのポケットから出ている、赤い毛糸につながれている懐中時計に。大きな段ボールを円形に切って文字盤を書き、昔のサンドイチマンのように、お腹と背中から身体をはさんだ。頭は竜頭にみたてて、ベレー帽子にアルミホイルを巻いてかぶった。手にはアリス人形を持って。ステージに上がってのアピールタイムでは「たいへん、たいへん!遅刻しちゃうぞ!みなさーん、授業には遅れないようにしましょう。白うさぎさんのようにね。」と言って会場をわかせた。仮装がうけたのか、コメントがはまったからなのか、「白うさぎと懐中時計」はアイデア賞に輝いた。
パーティが終わりに近づいたとき、ケンは「好きです!これからもずっと、時計のように、僕のそばにいてください。」と告白してくれた。「大きな懐中時計」が、生まれて最高の幸福感を味わった瞬間だった。
ケンはデートのたびに「たいへん、たいへん!遅刻しちゃうぞ!」と走りながら、待ち合わせ2分前ぴったりに、登場する。わたしがクリスマスにプレゼントした腕時計を見ながら...「時間に几帳面な白うさぎさん、あなたが大好きよ。・さて未来は、どんな不思議の国へ連れていってくれるの?これからもよろしくね!」


「Dear.Riz.。」Jinko.K.さんのエッセイ

この国、この世界の未来を担っている研究者のそれとしては、あまりにも質素な腕時計だった。 私たちは、出会うまでに15年の時間を要し、2年の時間を共有した後、空白の23年に居た。 あのころ、私は、世界中の誰よりも彼女を尊敬し、彼女は、全権の信頼を私にくれた。未来は、可能性ばかり。女子高の生徒会長がどれほどのものかはわからない。二人とも、退学届を懐に入れ、高校生の時を過ごした。一人しかなれない生徒会長の孤独を、わけあえる唯一の互い。 彼女は、大人になった以外、かわらなかった。語られない言葉から、互いの今を悟る。彼女が席をはずしたわずかな時、ベットに置かれた腕時計を見た。 特別上等ではない市販の黒皮のバンド。裏は、白く擦り減っていた。この腕時計も自分で買ったんだろう。女が一人、研究の世界で生きるシビアな現実。私は、高校から使っている自分の腕時計を見つめた。彼女も私も、結婚はしないだろう。・・・もしや、ノーベル賞をとるやもしれぬ、彼女なら。 彼女は、私の「永遠」。 『帰ってきます。待っていてください』。信頼の前に、性別はいらない。どんな立場だろうと約束は守る、互いの腕時計が証人。そういう刻に、私たちは、生きている。


「昔の仲間」深谷 桂子さんのエッセイ

腕時計と本格的に付き合うようになったのは、中学生の時だ。小学生では必要ない時間管理も、中学生には求められる。中学に入った途端、みな腕時計をはめ始めた。私も、外出時には常に腕時計をするようになった。入学祝いに貰った、当時最新型の腕時計だ。自動巻きの防水で、メタルフレームにメタルバンド、文字盤は光沢のあるエメラルドグリーン。今見ると、いかにも30年前の代物で、婦人物にしては厚みがあるし、ごつくて重い。大学の入学祝いに、華奢な大人っぽい電池式の腕時計を贈られるまで、この時計は大活躍だった。授業、クラブ活動、試験など、中学高校の6年間、私と生活のすべてを共にした仲間のようなものだ。
その後、安価なファッション時計が出回り、私の腕時計も数が増えた。就職してからは、毎日のように時計を取り替えていたので、特に思い出のある腕時計もない。9年前に退職し、自宅で仕事をするようになった今では、腕時計をはめることすらない。たまの外出の際も、携帯電話で腕時計の代わりを済ませてしまう。
 ところが、である。つい先日、久しぶりに腕時計をしようと、引っ張り出してみてギョッとした。(あれぇ、みんな止まってる。うわぁ、使えない! そうか、電池切れなんだ。ん、でも、もしかして・・・)中学高校時代の時計を手に取り、ネジを回してみた。動き出した。(ああ、この子は生きてる。)過去の思い出と一緒に暖かい気持ちに包まれた。その古くさい時計がいやに
いとおしく、有り難かった。
最近は、肝心な部分を電気や電池に頼っている機械類が多い。
けれども、いざというときに頼りになるのは、昔からあるものなのかもしれない。
文字盤の曇りを拭い、秒針を目で追いながら息をついた。(昔の仲間って大事だね。)


「分身」西村 美香さんのエッセイ

何が良い?と彼に聞かれて、私は腕時計と答えた。会社では、結婚指輪以外のアクセサリーは禁止されていたので、時計ならずっとつけていられる、と思ったのだ。彼は、もうまもなくアメリカに留学して、私達は何年か離れ離れで暮らすことになっていた。一緒にいられる、残り僅かな休日に、私達は時計探しをすることにした。二人でしっかりと腕を組み、町中を歩き回りながら、私達は時計を探すことに熱中する振りをして、それぞれの淋しさから目をそらし、不安を口にする代わりに、まだ見ぬ時計について、あれこれと話し合った。それにしても世の中には、なんと膨大な数の時計があふれていることだろう。だが、私達の心にぴったりくる時計は、なかなか見つからなかった。フェミニンな細い鎖の時計は、私の骨太の腕には似合わなかったし、彼の不在中は毎日着けていたかったので、傷みやすい革のベルトも軒並み失格となった。ずいぶんと長い間、私たちは綺麗に磨かれたショーケースの中の時計を、まるで美術館の絵でも眺めるように見てまわったのだ。そして、とうとう最後に一つの時計の前で立ち止まった。銀色でシンプルなその時計は、外国製の自動巻きで、美しい文字盤には小さな星がついていた。私達は二人同時にため息をついた。その時計は、ちょうどぴったり彼が買える位に高価だったのである。そうして、彼はその時計を私の腕に巻き、アメリカに飛び立った。彼が行ってしまってから、私は体中が空っぽになってしまったような喪失感の中で、その時計だけは、寝るとき意外離そうとしなかった。次第に時計は、チコチコと動く、私のもう一つの小さな心臓のようになり、文字盤の小さな星は私がひっそりと祈る時のお守りになった。何年もたって、彼は日本に戻り、私達は結婚した。今では、その時計を毎日着けることはないし、さびしくもなくなったけど、それは相変わらず私の心の一部のようにチコチコと動き続けている。


東元 正臣さんのエッセイ

「あと1分20秒ある、それっ!」と駆け出す。会社の帰り、地下鉄から阪急に乗り換える階段は4階分ある。エスカレータでは間に合わない、と階段を駆け上がる。こうして案内板の黄色い光が点滅している間に改札を抜けると、宝塚行きの急行に乗ることができた。乗り遅れても10分も待てば次の電車に乗れるのに・・・。デジタル時計に慣れれば地下鉄のホームから改札まで、どこにいても最小で到達できる時間が読めるものだから、急行に間に合うと思えばつい足が速くなる。どうしてそれほどまでせっかちに行動することになってしまったのか。
わたしはそれまで3針のアナログ時計を持っていた。昭和50年頃のことだったろうか、チラシでカシオの英語辞書付のデジタル腕時計が格安で出ていたので衝動買いをしてしまったのである。しかし、英語辞書は語彙数や使い勝手でほとんど役立たなかった。そのかわりに秒まで読めるデジタル表示の正確さのお陰で「約束の時間を守り、遅刻をしない」という生来の行動に輪をかけることとなってしまったのである。
このデジタル時計の呪縛から開放してくれたのは平成元年に死んだ父の遺品の、世界で最も薄いと言われたセイコーの腕時計であった。この時計を腕にすることで、再び時間を『時点ではなく、時の流れ」として感じるゆとりを取り戻すことが出来たのである。わたしは時間を守ることを大切に生きているが、今では時刻に縛られてバタバタすることもあたふたすることもなく、大らかに時の流れを享受出来るようになった。


(事前のご同意)
「思い出の時計エッセイ募集」に送っていただいたエッセイの著作権は、セイコーインスツル株式会社に帰属します。
また、みなさまのエッセイと氏名(ペンネームを記載いただいた場合はペンネーム)を、当ホームページ上に掲載させて頂きますことを、
予めご了承ください。