わがはいのページへようこそ。これから、一緒(いっしょ)に「時の歴史(ときのれきし)」を勉強(べんきょう)していこうかのう。前回(ぜんかい)も予告(よこく)したように、今回(こんかい)は「機械式時計(きかいしきとけい)」の大特集(だいとくしゅう)じゃ。

そのまえに高田小学校5年(たかだしょうがっこう5ねん)の高田あや子さん(たかだあやこさん)がおくってくれた「機械の時計を初めて作った人は、だれですか?(きかいしきのときをはじめてつくったひとは、だれですか)」という質問(しつもん)にもこたえるから、高田さんはとくにじっくり読んで(よんで)くれるとうれしいのじゃ。



機械式時計ができたのは、記録(きろく)が残って(のこって)いないので、はっきりはわからないのじゃが、今(いま)から700〜600年ぐらい前(まえ)だといわれておるんじゃ。

水時計の中にも2000年7月の時の資料室(ときのしりょうしつ)にあるような機械をつかったものがあったが、
ここでいう機械式時計というのは、機械を使ってその速度(そくど/スピード)を一定(いってい)にしている時計のことをいうのじゃ。

そのころの時計は、もちろんいっぱんの人が自分(じぶん)でもてるものではなく、時計といえば、寺院(じいん)の高い(たかい)とうなどにつけられたものや、王様(おうさま)やくらいの高い人がもっていた、動かさず(うごかさず)においておく大きな時計だったんじゃ。

←そのころの塔時計(とうどけい)のなかみ。

持ち運び(もちはこび)ができる時計ができたのは、といっても今の目覚まし(めざまし)時計ぐらいの大きさだったのじゃが、今から400年ぐらい前だといわれているんじゃ。その時計を動かすのには、ゼンマイが使われて(つかわれて)いたんじゃ。

さて、最初(さいしょ)のころの機械式時計で、一定の速度を保つ(たもつ)ために使われていたのが、棒(ぼう)テンプといわれるてんびんの棒のようなものなんじゃ。
この棒テンプの仕組み(しくみ)については、「時の資料館」にも関係(かんけい)があるから、ぜひそっちで仕組みを学んで(まなんで)ほしいんじゃ。この仕組みの時計は、正確さ(せいかくさ)はイマイチで、1日に1時間もくるうといったものだったのじゃ。
機械式時計ができたとはいえ、実用(じつよう)にはまだまだだったんじゃ。



それが、大きくかわったのが、イタリアのガリレオ・ガリレイの1583年の大発見(だいはっけん)によってなのじゃ。その大発見とは「振り子(ふりこ)が大きくゆれても、小さくゆれても、1往復(おうふく)するのにかかる時間は同じ(おなじ)」というものなのじゃ。
これを「振り子の等時性(とうじせい)」というんじゃ。
この「振り子の等時性」については、「時の理科」にくわしくのっているので、そちらをぜひみてくだされ。

そしていよいよ「機械の時計を初めて作った人は、だれですか?」という答えになるのじゃが、これは正確(せいかく)にいうと「きちんと使える機械の時計を初めて作った人は、だれですか?」ということじゃな。

その人物(じんぶつ)こそ、オランダの学者(がくしゃ)のクリスチャン・ホイヘンスなのじゃ。
ホイヘンスは、ガリレオの「振り子の等時性」をもとに1656年に振り子時計を、1675年にヒゲゼンマイのついたテンプ時計を世界で最初に作ったといわれているのじゃ。 このホイヘンスのおかげで、何分(なんふん)の単位(たんい)まで正確にわかるようになり、それまで1本だった針(はり)に分針(ふんしん)もついて、さらには秒針(びょうしん)までつくようになってしまったのじゃ。
まさに「機械時計の父」!!!すごい人じゃのう。
さらにおどろくことに、ホイヘンスは、自分(じぶん)で作った天体望遠鏡(てんたいぼうえんきょう)で土星の輪(どせいのわ)を発見(はっけん)した人でもあるのじゃ。
ここまでくるともう信じ(しんじ)られない才能(さいのう)の持ち主(もちぬし)だったわけじゃのう。ただただ、感心(かんしん)じゃ。

参考文献
玉川こども百科89「時計」玉川大学出版部(誠文堂新光社)

2000年9月号