さて、今回(こんかい)もみんなといっしょに時や時間にかかわりのある場所(ばしょ)をたずねていこうと思う(おもう)のだが、準備(じゅんび)はよろしいか。よいしょ。

今回はひとつの場所ではなく、いろいろな国にまたがって関係(かんけい)のある話なのだな。
なにかというと「日付変更線(ひづけへんこうせん)」の話なのだな。
みんな「日付変更線」というものがなんなのか知っているかな。よく、海外旅行(かいがいりょこう)に行くと、行き(いき)は1日ふえ、帰り(かえり)は1日へるということが起きたりするのを聞いたことがあるかな。それはなぜかというと、この「日付変更線」をこえるからなのだな。

下の地図(ちず)に赤で書かれている線が「日付変更線」なのだな。この「日付変更線」が必要(ひつよう)だということに気づいたのは、今から478年前のことで、1519年から1522年にかけて、最初(さいしょ)の世界一周(せかいいしゅう)をなしとげたフェルンナンド・マゼラン一行(いっこう)の船員(せんいん)だったと言われているのだな。
マゼランたちの船(ふね)に乗っていた記録係(きろくがかり)のイタリア人、アントニオ・ピガフェッタが、スペインを出港(しゅっこう)した1519年の9月8日から、1522年9月6日にふたたびスペインにもどってくるまで、毎日(まいにち)日記(にっき)をつけていたのだな。一日もかかさず、3年間も書き続けた(かきつづけた)のだから、すごいことなのだな。どっこいしょ。

スペインに帰ってくる途中(とちゅう)の1522年7月13日に、アフリカのベルデみさきのサンチャゴ島へ上陸(じょうりく)したところ、船の中では水曜日(すいようび)だったその日が、陸では木曜日(もくようび)だということを知って、みんなおどろいたのだな。スペインを出て(でて)、西(にし)へ西へとむかって進んで(すすんで)いるうちに暦(こよみ)の中から1日がなくなってしまったのだな。スペインに帰った一行(いっこう)が、この事実(じじつ)を報告(ほうこく)したところ、またスペインでもおどろかれたのだな。
そしてスペインの歴史家(れきしか)であるペーター・マルチルが、この理由(りゆう)を賢者(けんじゃ/知識のある人)に聞いたところ、「地球(ちきゅう)が地軸(ちじく)を中心(ちゅうしん)に1日に1回転(かいてん)しているからだ」と説明(せつめい)されたのだな。
西へ西へとむかって3年間も旅(たび)をつづけているうちに、つまり地球の回転と反対(はんたい)の方向(ほうこう)に進んで(すすんで)いるうちに、1日を追い越して(おいこして)しまったということなのだな。この時にそれまでとなえられていた「天動説(てんどうせつ/地球はとまったままで、太陽が地球のまわりをまわっているという考え方)」はまちがいで、コペルニクスの「地動説(ちどうせつ)」が正しいことがわかったのだな。ふーっ、よっこらしょ。
このことから、西から東(ひがし)の方向に日付け変更線を通過(つうか)するときは日付(ひづけ)を1日戻し(もどし)、逆(ぎゃく)に東から西の方向に日付け変更線を通過するときは日付を1日先(さき)に進めることにしたのだな。
このような線をどこかにきめないと、時間や日付を考えるときにおかしくなってしまうのだな。

今、日付変更線は、だいたい東経(とうけい)・西経(せいけい)180°(ど)の地点(ちてん)をはしっているのだな。見て分かるように、日付変更線がくねくねとまがっているのは、国の中や領海(りょうかい/その国の中にある海)をわけてしまわないようにしているからなのだな。きょくたんにでっぱっているところは1979年にイギリスから独立(どくりつ)したキリバス共和国(きょうわこく)で、このキリバス共和国は、1995年に今まで国の真ん中をとおっていた日付変更線を東(ひがし)のはしに移動(いどう)してしまったのだな。それは、国のPR(ピーアール)と観光(かんこう)を目的(もくてき)に「2001年世界最初の初日の出(はつひので)が見れる場所」にするためなのだな。どっこいしょ。

さて、「日付変更線」のこと、みんなわかってくれたかな?
今回はこんなところで、おしまいなのだな。次回(じかい)はいったいどこにいくのやら。
楽しみ(たのしみ)にまっててくれるとうれしいのだな。よっこらしょ。

参考資料:「時と時計の最新常識100」「時計にはなぜ誤差が出てくるのか」

2000年11月号